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HÜTTEのブログ

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monologue #6

 

何年か前、タブレット端末やスマートフォンの普及とともに「電子書籍」がもてはや

された時期があった。新しい媒体の登場とその未来をメディアは好意的に報道。

紙の本がデータ化されれば省スペースにつながる。」「オンラインでいつでも好きな

ときに本が手に入り、書店に行く必要がなくなる。」そんな具合に一方的に電子書籍

に肩いれしたバランスに欠けた比較論が横行し、その多くは、電子書籍が発行部数

でも売上金額の面でも紙の本を追い抜くのはもはや時間の問題だ、という結論で

締めくくられていた。

んな馬鹿な。当時、帯広で紙の雑誌編集に従事していた僕は、そうした論調を

目にするたびに心のなかで悪態をついたものだった。温かみのかけらもない

つるつるの電子端末が、物語のもつ温度や空気感を伝えられるわけがない。

電子書籍の登場を歓迎するやつは無数にならぶ本屋の在庫のなかから自分に

呼びかける運命の本を手に取り、ページをめくるときの高揚感を味わったことが

ないのだ。タブレットだかニコレットだかしらないが電池が切れちゃえば電卓にも

ならないお荷物だろう。そもそもITの進歩が人を、人が備えている能力や感情を

退化させてるってことになぜ目をつむるんだ。不便さこそが人を成長させるんだ! 

やっちゃえ日産って、自動ブレーキで逆走やっちゃう老人の暴走は減らないぞ! 

そんな僕の怒りが世間に伝播したのか(そんなわけはない)、いつのまにか電子

書籍ブームは下火になり、その反動のように紙の本が復権してきている。

よかった。本が紙のままで本当によかったと、書店を訪れるたび、そして自宅の書棚

に目がむくたびに僕は胸を撫で下ろすのである。

 

さて、前置きがずいぶん長くなったが、つまりは単純に「紙でできた本」が好きなのだ

「中身(内容)がすべてなんだから素材(外見)はなんだっていいじゃない」という意見

にはまったく賛成できない。人はそうでも本は違う。カバーを外した文庫本の簡素で

ざらついた質感や古い匂いがしそうな枯れた佇まいが好き。色とりどりに目を楽し

ませてくれる絵本のカバーも好きだ。見るからに知恵や気づきを授けてくれそうな雑誌

(さいきんのはネタの使い回しばかりで買わなくなったが)の厚み、重さに安心感を

覚える、ほっとする。指先で触れ、手のひらにのせるところから始まり、パタンと閉じて

手を離すまで、目や鼻や手や、身体のどこかしらが本と呼応する。そういう身体的な

感覚のゆらぎを与えてくれるのが紙の本の魅力ではないだろうか。

ちなみに嫁さんもそんな僕と同じか、それ以上に紙の本(いちいち「紙の」って言わせる

この手間…)が好きで、だからHUTTEの計画段階から2人の頭のなかで「活字の世界

にゆっくり、どっぷりと浸れる個人的空間であること」というコアイメージをまず共有

して、そこからインテリアのイメージを膨らませていったという経緯があった。本それ

ぞれが伸び伸びと個性を輝かせる居場所というものをまずは考えたのである。絵本

のように表紙が内容を物語るのなら正面をむくようにしたくて、そのための棚を入口

に用意。背表紙が特徴的なものや文庫は棚差しがいいので、壁に棚板をつけて

その上に。そんな具合。たまに店の雰囲気を変えるために本だけ並べ替える、

そんなこともけっこう意識的に続けていた。ある意味では本がHUTTEの主役だった

とも言える。

そんなぼくらの思いが、どれだけの読書好きを満足させていたか。たしかなことは

わからないが、幾つか、本好きのお客さんが認めてくれた(僕にとっては感動的かつ

決定的な)瞬間が記憶に残っているのでここで紹介したい。

 

雨に仕事を邪魔されるとひとり、ふらっと現れてカウンターに腰をおろし、深煎りを

すすりながら読書に没頭していたのが、同じ町内で農家を営むKさんだ。手にとる本は

ときに雑誌だったり、ときに古い小説だったりさまざまだったが、あるとき開いた

テリー・ファリッシュ著、村上春樹訳の「ポテトスープが大好きな猫」はとくにお気に

召したらしく、読後めずらしく「家でも猫を飼っていて」と身の上話をされ、それを

きっかけに僕らはちょっとずつ言葉をかわすようになったのだった。「ここは文化を

発信しているよね。頑張って続けてください」との言葉をくださったのもその頃。ただ本

が好きだから置いているだけなのに「文化を発信」なんて、高級なスーツを着せられた

ような感じでむずがゆい。でも口数の少ない人から、しかも地元の農家さんからの

激励はずしんと響くものがあって痺れるような嬉しさに浸ったものだ。

 

となりまち小清水からしょっちゅう足を運んでくださったKさんはジャンルをしぼること

なく、じつにたくさんの本を購入してくださった。実用書にエッセイ、詩集に写真集と、

そのストライクゾーンの広さに僕はいつも「いや~、いろんなことに興味があるんだ

なあ」と感心していたのだが、ギョーム・デュプラ著の仕掛け絵本「動物の見ている

世界」を「自分用に」買われたときも「おおっ」と思わず唸らされた。さまざまな動物の

目が同じ世界をそれぞれどんなふうに写しているかを最新の研究成果に基づいて

描き分けたこの本を、僕はさいしょお孫さんへのプレゼントなのだろうと受け止めた。

なんといっても絵本だから。でもきけば自分用にとのことで、しかもそうとう気にいった

という。絵本でハッピーになる大人がいることを知って、僕らもとてもハッピーに

なれたというこれも本にまつわる良い思い出のひとつだ。

 

もう一人。ほとんど会話を交わしたこともなく、名前すら知らないまま残念ながら

離れてしまったが、僕らが2人とも「大切なお客さん」と来店を待ち遠しく思っていた

ある少年と、そのお母さんについてもふれておきたい。小学生くらいにみえるその

男の子はおそらく精神的な疾患を抱えていたのだと思う。とつぜん大声をあげる

ことが珍しくなく、ときにはこっちにまで聴こえるボリュームでおならをしてしまう

ことがあった。でも不思議と嫌な気持ちはしなかった。それどころか、お母さんが

あたふたしながら懸命に場を取り繕う様子もふくめて、なんというか好ましく感じ

られて僕らはいつしか彼らを迎える時間が好きになっていた。

そもそもお母さんにはきっとそれなりの躊躇と覚悟があったはずなのだ、HUTTE

の扉を開くのには。思い過ごしかもしれないけど、いや、いつもおそるおそるというか

縮こまった感じで過ごされていたことを思えば公共的な空間に対するいずらさは

あったはずで、にもかかわらず通ってくれるお母さんのその勇気をおもうと、僕は

ほんとうに誠意をもって迎えなきゃと背筋を正したものである。そんななか、

お母さんが本をしばしば買ってくれるようになると僕はやっぱりすごく嬉しくて、

「これも気にいってくれるんじゃないか」とその子のことを頭に浮かべながら

仕入れた「ゆきのうえ ゆきのした」をその思惑どおりに持ち帰ってもらえたときは、

まるで恋心が通じた瞬間のように浮かれてしまった。今でも読んでくれてると嬉しい

のだが。

 

閉店後、ひまさえあれば図書館に通い、僕を呼ぶ本を片っ端から手にとっている

うちに世界にはまだまだ読まれるべき名著があることを知った次第。次の空間にも

木の書棚をおいてそこにぎっしりと紙の本をならべたいものだ。

 

2021-03-11 3:20 PM|だいじなお知らせComment(3)

またはじめから

こんにちは。

購読されてるかたがほとんどいらっしゃらないのはわかっていますが、

書いておかないと気持ちのおさまりもよろしくないし、なんといっても

「区切り」ですから、このまま黙っているわけにもいきません。

この2月末で浦幌町をはなれ、農家を目指すために岩見沢市に移動

しました。6年のあいだに3度目になる転職と引越し。この頻度はもう

職業不詳の住所不定と言われかねないレベルで、たまたまこの文章

をみた方の反応も容易に想像できようかという感じですね。

3年におよぶ研修をぶじに卒業し、晴れていち農家として独立したさきで、

ひとつひとつ野望をかたちにしていこう。おいしい野菜を育て、加工し、

来て下さったかたに味わってもらう。空気も一緒に。そんなイメージを

しっかりと温めつづけながら、あたらしい道をまじめにすすんでいきます。

 

 

2021-03-03 2:50 PM|だいじなお知らせComment(0)

dialogue #1

 

11月某日『今日の出来事』

 

基本的に、このブログには仕事絡みのことは載せないようにしているのだが。

少し前の話だが、印象に残ったことがあったので、ちょっと記録しておこうと思う。

 

先日、旧友でもあるその男(仮名:T)と、10年ぶりくらいに会うことになった。

数年前に奴が地元に帰って来ていたのは知っていたが、たまたま街中で

会った際に、社交辞令的に「今度一杯飲ろうぜ」程度の話をするだけで、

特段接点も無かったのだが。

 

今回、仕事で微妙に絡む案件があり、「メールや電話でする話でもないな。

ちょっと顔見て話さないか。」などと言っていたのが、確か7月くらいだったと思う。

当初は、「仕事のピークを越えたら」とか、「ちょっと落ち着いたら」とか

聞かされていたのだが、そうこうしているうちに(人伝に聞いたが)何でも糖尿で

入院したらしい(笑)

そんなこんなで、気づけばもう11月だ。

 

さて、仕事の話もそこそこ纏まって、お互いに「最近どうよ?」的な話になった。

俺の方は相変わらずだが、何でも奴は、ちょっと前まで登山に凝っていたらしい。

正直(俺に限った話じゃないと思うが)Tには、年中美味い食い物屋を探している

とか、日々飲んだくれているイメージしかないので、そう聞かされたときはかなり

意外だった。

まぁ、さして興味も無いのだが、会話の流れ上、最近はどの山に登ったか聞いて

みた。恐らく、自信たっぷりに「藻琴山だ!(笑)」とか言うオチだろうなと。

 

「具体的には、山には登っていない。」

 

あー…。何言ってんだこいつ?

 

「俺は、山に登らない登山家なんだよ。」

 

お前もう酔っぱらってんのか?というこちらの表情を察したのだろう、奴がべらべら

話し始めた。相変わらず話しが長く、結論が最後に来るので要点をまとめると、

・人は皆、生まれながらに登山家である

・なぜなら、“生きること”とは、それ自体が登山であるからだ

・そして、登るべき山は、仕事であったり、子育てであったり、勉強であったり、

人それぞれ違うのだが、“頂きに達した時に、眼前に全く違う景色が広がっている”

という点において共通している

と、いうことの様だ。

 

こう聞くと、結婚披露宴などで挨拶の下手な奴に限ってよく使う、陳腐な例え話の様

だと思ったが。それこそ、奴がまだ地元に戻ってくる前、まだ奴が多忙を極めていた

頃の話だ。たまたま打合せに同席した経営コンサルタントが、「まぁまぁTさん、

“忙しい”という字は“心”を“亡くす”と書きましてね…(笑)」などと語り始めた時に、

「うっせぇな!忙しいもんは忙しいんだよ!邪魔だ!とりあえずそこどいてろ!」

と怒鳴りつけた印象が強すぎて、この男の口からこういう言葉を聞くのは、かなり

意外だった。この数年の間に、奴の中で何があった?と、ちょっと興味を持ったので、

そのまま話を聞くことにした。

奴が続ける。

「登山家にとって、最も重要なものは何だと思う?」オチが見えた、という声が

聞こえてきそうだが、それはとりあえず気にしない。

 

さておき、自分はこの種の問いかけが嫌いだ。出来の悪い営業マンにありがちな、

「自分は正解を知っていて、かつ、その答え(的なもの)は、自分の主張にとって

有利に働くものである」と相場が決まっているからだ。

 

まぁ、いい。そこもちょっとイラッとするが、久しぶりなので一応答えてやる。

「うーん…。食料、装備…、いや、自分のスキルに見合ったルートの選択…、あと何だ…」

「どれも違うな」

ほら来た(笑) ていうか、そう言うのは分っていたが。

 

「正解は…、山小屋だ!(笑)」

ちょっと待て。いや、正解が何かというより、何だそのドヤ顔は。何が言いたいか

分からんが、いずれにしても、本物の登山家が聞いたら怒られそうな話だぞ、それ。

そして、Tの珍妙な趣向の開陳はまだまだ続く。

「だが、山小屋なら何でもいいって訳じゃない。」

「豪華じゃなくていい。軽いものでいいから美味い食事、そして静謐な空間。」

「さらに、窓から見えるいい景色。」

「欲を言えば、小さくてもいいから露天風呂があって、そこからその景色が眺められれば

最高だ。」

「そして絶対に外せないのが、美味いコーヒーだ。これだけは絶対に譲れない。」

 

いや、露天風呂って、どこのリゾートホテルだよそれ。山小屋に露天風呂ってなぁ、と

反論しかけて、いいかげんバカ臭くなってきたのでやめた。Tのことだ、どうせ

「分からん奴だな。“山に登らない登山家にとって”という前提だ。」などと、屁理屈を

こね回すに決まっている。昔からそうだが、良くも悪くも、理屈でこの男に勝てる気は

しないので、そのまま黙って聞くことにした。

それからしばらく、奴が理想とした山小屋の記憶を、延々聞いていた気がする。

奴は話した。

サラリーマン時代には考えたこともなかった、“人間が動くエネルギーはどこから来る

のか?”ということ。その山小屋なるものが閉められてから暫くの間、休日の午後は

何をしていいか分からなかったこと。あたかも“自分を振った女に「俺、これから

どうやって生きていけばいいんだよぉ!」と泣きつく惨めな男”の様な自分自身に、

苦笑いする日々を過ごしたこと。一時は、その空間に替わる、とまでは言わなくても、

その穴を埋められるかもしれない場所を探そうと必死になったこと。だが、そんな

ものは、この地上には存在しなかったこと。

そして、心のどこかで、そんなことは最初から分かっていたこと。

 ここ最近は、お子さんの送迎がてら、休日の午後は図書館で過ごすことが多いこと。

傍から見たら心の平静を取り戻したように見えているだろうが、今でも、誰かが当時の

山小屋のことに触れると、どうしようもく心がざわつくこと、など。

 

時に遠くを見ながら、時に目の底をギラつかせながら延々語る奴の姿は、もはや

「熱っぽく語る」とか、「思いの丈をぶつける」とか、そんなものではなかった。

それはある種の濁流の様であり、きっと「誰かに話したい」、「だが、およそ理解され

ない」、「むしろ、理解されたくない」、そんな色々な思いが、ごちゃ混ぜになって溢れ

出しているんだろうな、と思った。きっと、『堰を切った様に』とは、こういう場面で

使う言葉なのだろう。

 

 

気が付けばすっかり日が落ちて、外は真っ暗になっていた。

話すだけ話して落ち着いたのだろう、妙にすっきりした顔つきになったTから、「いつか

どこかで、山小屋の主人に会ったら伝えてほしい」と、伝言を預かった。「自分の心

は、未だ決して癒されぬ渇きの中にいる」、そして「再開を待ちわびている」と。

 

既に俺の奴に対するイメージは伝わっていると思うが、およそ『歩く合理主義』、『呼吸

する屁理屈』的な奴の口から、こんな一連の言葉を聞く日が来るとは。思わず、

「何だおい、意外とロマンチストなんだなぁ(笑)」と思わず吹き出してしまったが。

 「違うな。俺はリアリストだと思ってる。」

「ホントに、カラカラに乾いてんだよ。」

「実際、“あの日”以来何を飲んでも、この乾きが癒されることは決してない。」

 

どこかで聞いたようなやりとりだとも思ったが、奴の、今にも泣き出しそうな、それで

いて飢えてギラ付くような、何とも言えない目つきを見ていると、俺はそれ以上何も

言えなかった。そんなやりとりをして、その日はTと別れた。

 

 

それから数日間、何だろうか、何かこう釈然としないというか、何かが自分の中で

引っかかっている感覚で過ごした。たまたま今週末はカミさんと娘たちが出かけており、

土曜の夜に家で一人なのは久しぶりだった。手持ちぶさただったので、先日Tから

「値段の割に美味いぞ!」と貰った「バロン・ダヴラン」とかいう赤ワイン(ACブルの

割には美味いとか、ピノ・ノワールが何とか、等と色々語っていたが、正直殆ど

覚えていない)を抜いてみた。一人だったので、大したツマミも用意せず、がぶがぶ

飲んでいたせいか、大分酔いが回ってきた。自称、酔拳の使い手である俺は、

「飲んでる時にふと気付く」ことが結構ある(笑)

今回も、やっと気づいた。

ここ数日の違和感というか、気持ちのどこかに、前の日晩飯で食った魚の骨が

引っかかっているような感覚の理由が。

 

俺はきっと、羨ましかったんだ。

Tの言っていた、たった一杯で、いや、その薫りを嗅いだだけで、魂を鎮められるという

コーヒーが。「時間はコストだ!」が口癖で、いつもバタバタ走り回っていた奴を、

およそ「静謐な時間」なんて物とは無縁だったあの男を、そこまで変えてしまうような、

その場所が。そして、自分の時間の過ごし方(それは“生き方”と言い換えられるもの

でもある)に、そこまで影響を与えることのできる場所と出会えた奴の幸運に、俺は

嫉妬していたんだと思う。

 

今なら俺も思う。

いつ、どこで会えるかもわからないが、その山小屋の主とやらに会ったら、必ず

伝えよう。

 

Tの伝言に加え、

「俺も、早くあんたの淹れたコーヒーを飲んでみたいんでね」と。

 

2021-01-02 6:32 PM|だいじなお知らせComment(0)

monologue #5

「ライフラインだから」。

Tさんは隣町からHUTTEへ足しげくかよってくれる理由を、そんなふうに表現

した。命綱。生命線。飲食店店主の立場においてうけとるならば、「これはもう

そうそう簡単に休むわけにはいかないぞ」と肩に力のはいる(実際はもともと

すくなく設定した営業日をさらに削ったりもしたけど)殺し文句である。言われて

すぐは、「ちょっと大げさじゃ? 」と思わないでもなかった。しかしながら、ほほ

笑みのなかに疲労をにじませた顔で店にやってきては肘掛け椅子に身をなげ、

「ふ~」とか「いや~」なんてふうに深々とため息をついたり、ときにはその姿勢

のままうたた寝しちゃったりと、そんな脱力タイムをすごしたのちに、おもむろに

からだを起こし、入店したときよりあきらかに光の量が増した眼差しで店を

あとにする。そんなプロセスをなんども目の当たりにするうちに、たしかに

この空間をふくむ僕らの提供するものごとがTさんの精神や肉体に積もった

汚れをとりはらうように作用してるんだろう、だからそのままの意味合いで

うけとっていいんだろうなと次第に思えてきたのだった。ちなみに奥さんと

来店されたある日には、その肘掛椅子にむかいあう形で座り、うなずき合い

ながら「もうこの席、露天風呂(と同レベルの癒やし効果がある)だよね」と、

そんなふうに形容されたことも。ライフラインほどパンチはないけど、これ

また「よっしゃ、やってやろうやないか。なんなら布団おひきしましょうか」

ともてなし精神に火をつける、心憎い表現である。

 

 

経営者の立場にありながら、みずから得意先まわりを欠かさないバイタリティ

あふれる仕事人間であり、家族の時間をほかのなにより優先し、大切にもする

佳き夫でもあり、2人の娘さんとつねにおなじ目線で会話する心優しい父親

でもある。さらにいえばススキ…いや札幌の飲食業界にとても詳しく遊び人と

しての一面ももっている。いろんな顔を生きている、しかも、どの顔のときも

全力で。そんな印象を、僕はTさんに抱いている。抱きつづけている。

「それは褒めすぎだよ、のだくん」と本人はきっと苦笑いするだろうけれど、

でもものごとをついつい斜めから、それも冷めた目でみてしまう傾向の僕

からすれば、Tさんの言動が発する熱量はいつでもそうとうな高さに

感じられるし、存在そのものがまぶしくうつった。40代男性としてのあるべき

姿のひとつといってもいい。ひさし会っていないけど、今もそのイメージは

薄れることなくある。食べっぷりもまた豪快なものだった。HUTTEのキッチン

で生産されたものの総量を100でいうと、そのうち60~70%はTさんが消費

した、それくらいのイメージだ。「大げさだよ、冗談じゃないよ、のだくん」と

またつっこまれそうだが、でもまあたしかにいじられたがりのTさんを喜ばせる

ために誇張したけど、5割ならそう外れてないだろう。だってベーグルサンドを

食べたあとに日替わり焼き菓子を追加するのが基本スタイルだったし、

なんならサンドを2個たいらげてから焼き菓子も2個というパターンもあった。

珈琲にしてもよほど時間的な余裕がない日をのぞけば毎回おかわりして

くれたのだ。さらに書くと、水出しアイス珈琲をたてつづけに3杯、ほぼ一気

飲みして我々をびっくりさせたこともあったし、けっこうなボリュームのカレー

とHUTTEプレートをつづけざまに完食した「事件」は、そのあとしばらく

我が家の話題というかネタになりつづけたのだった。

大食いって、みかたによっては「味わう」よりも「消費」が前提で、なんとなく

卑しさみたいなマイナスイメージで僕らは捉えてしまう行為だけど、Tさんの

場合はそんな雑な姿勢がいっさい感じられなくて、差し出したもの一つ一つ

をものすごく味わってくれたし、食べ終えたら時間をかけて選んだ言葉で

肯定的な感想をくれた。作り手としてこれほど勇気づけられることはない。

「ただ好みだから、たくさん食べる」という、さしだす側とうけとる側の、

シンプルで幸福な関係がいつのまにかできあがっていたことに僕は

気づかされ、そのかたいっぽでいられることに深く感謝した。

キッチン班も声にこそあまり出さなかったけど、Tさんをむかえたときには、

その信頼を意気に感じているのが表情によく現れていた。Tさんの肯定、

承認は僕らにとっての原動力であり、創作の意欲をかきたててくれる火種

だった

 

#1に記した「生き返った」男性のエピソード。僕をいつも励ましてくれるこの

記憶の主役がTさんである。あれから5年経つけけれど、Tさんはきっと今日

もかわることなく、僕らになしたのと同じようにどなたかの人生を支えている

ことと思う。その人の毎日に欠かせぬライフラインとして。

2021-01-02 3:10 PM|だいじなお知らせComment(0)

monologue #4

漁師といえばだいたいが荒くれ者。おっきく稼いだお金で御殿をぶったて、

派手なジャージをだぼっと着こなしシーマかそれでなければランクルか、

いずれにしてもびっかびかのでっかい車を乗り回す。こんな偏見、

というか若い頃からわりに好んで旅した港町でたびたび実像を目にした

ことによって脳内に定着した漁師像を、ひとむかし前までの僕はそのまま

更新せずにほったらかしていた。店で売ってた網走湖のフォトペーパー

を手に、6月はじめのよく晴れた朝のような爽やかスマイルでレジ前に

たつスマートなその青年に「僕、この湖で漁師やってるんです」と

言われたとき、だから僕はしばし混乱に陥った。だって漁師にしては

閲覧用の雑誌や調度品の扱いがソフトすぎるじゃないか。それに

駐車場にシーマもランクルも見当たらない。服装だって金ラインいり

のジャージどころか、都会のセレクトショップのスタッフがするような

お洒落で清潔感溢れるコーディネートだ。すんなり信じられるわけがない。

「ぜんぜん漁師に見えませんね」。あんまり不可解だったので、隠し

持った銛で刺される覚悟でつっこんでみる。

「ふふふ」と青年。フォトペーパーに写った凪ぎの湖ばりに穏やかだ。

「最近は漁師も世代交代がすすんでるからか、派手なタイプばかり

じゃないんですよ」。

そんなふうにして知り合った、僕にとっては初めてかつ唯一となる

漁師の友達が大空町のIくんである。夏は主にシジミ、冬はワカサギ

と網走湖の恵みで生計をたてているれっきとした船乗りさんだ。

なんでも漁師家系の生まれではなく、高校卒業後から女満別空港で

荷捌きの仕事に精をだすこと数年、ふと地域ブランド品のシジミに、

「送る」のでなく「生産」というスタンスで関わりたいのだ自分は、と

気づいてしまったのだという。ねじりはちまき姿がどうしてもイメージ

できないのは、そういう背景ゆえだったのだ。で、たまたまそのとき

の交際相手が漁師の娘という巡りあわせも手伝い、結婚→引退を

決めた義父からの漁業権と漁船の譲渡という変則ルートを経由

して独立を果たしたそうである。

 過去に二度ほどシジミ漁の船に図々しく乗船させてもらったことが

ある。そのときに改めて実感したのは、強靭なフィジカルとタフな精神力

が揃って要求される職種だということだった。それ自体だってそうとう

重そうな鉄製のカゴを水中に沈め、黒々とした無数の貝を引き上げては

出荷用のプラケースにざざざっと落としていく。鉄カゴの上下運動は

船のウインチがやるのだけど、引っ張ったりひっくり返したりは人力だ。

これを延々と繰り返す様はもう完全な筋トレである。毎日が鍛錬の場

しかも寒い。陸にいれば初夏の日差しが温めてくれる6月でも湖上は

別世界だと初めて知った。空気がえらく冷たくて、それでいて船の移動

時はまともに風をうけるものだから、漁を終えて湖畔に降りた頃には

震えでがくがくと顎がかみ合わない状態が止まずに苦労したものだった。

それに、パック売りの状態がスーパーに定番的に置かれているのを

見たり、何度かIくんからお裾分けをもらったりもしてるから、どうも水揚げ

があって当たりまえと思いがちだけど農作物とは違ってシジミは動く。

見下ろしても水中はまるで石の壁のように何も見せてくれない。もし

何らかの判断を間違えてうまく獲物が網にかからなかったり、自身の

コンディション不良でそもそも船を出せなかったら収入はない。

結果がすべてダイレクトに自分と家族にはねかえる。これは、出社さえ

すれば日給が保証されているサラリーマンの自分にはちょっと想像

したくない構造だ。

しかしながらIくんは漁に同行させてもらったその日、仕事をおえたあとの

公園で、いつもの柔和な笑みをうかべながらあつあつで美味しいハンド

ドリップ珈琲をご馳走してくれた。あの労働を終えた後とはとても

思えない、軽やかな手さばきで。

船上でひとり、好きな仕事に心ゆくまで向きあえることへの充実感と

達成感が力仕事の疲れや寒さや不安を消し去ってくれるのに違いない。

Iくんの人柄をあらわしているような、クリアな酸味の珈琲を流し込み

ながら、胸のなかでひとり「人生こうあるべきだよなあ。好きな仕事

を人生にくみこむのが本当だよな」と頷く僕でああった。それにしても

漁師のみなさん、ごめんなさい。

 

2020-07-05 6:38 PM|だいじなお知らせComment(0)

monologue #3

 

 

きょうは日曜日。珈琲好きの会社員のおおくが週に一度、何処か気にいりの

カフェで過ごす至福の時間をイメージしながら一日をスタートする、そんな

祝福に満ちたいち日。なのに、なのにどうしたことか、うちの店にはたったの

一人も来客がない。そんな苦い現実がたびたび僕らのもとを訪れた。まあ、

某雑誌の取材を二度にわたって断ったり他にもあれこれと手だてを講じながら

店が人で賑わう状態になるのを意識的に避け続けていたのだから空いていて

当たり前、泣きごとを言うほうがまちがっているのだが、とはいえ週いちばんの

稼ぎどきにがらんとした店内を眺めるのはなかなかこたえるものである。とくに

開業からの数カ月、売上や回転率といった「数字」を追い求めることよりも

来店者一人ひとりの心にどれだけ深く根を下ろせるかの方が大事だと気づ

までは客数の増減に気分が左右され、それゆえ挫折感をしばしば味わわされ

ていたのだった。

しかしこの回想録が攻撃的な語り口調ではなく、わりかし明るいトーンで

すすんでいることにも表れているように、僕らは幸運にも眉間の皺が固まって

しまうまえに、沈みきって窒息してしまうまえに、ほどなくして心強い味方を

得ることができた。自分たち以外のために珈琲を落とすことなく日曜を終えても

「さて明日また頑張るために帰ってもりもり晩ご飯たべましょ」と、鼻をかんだ

ちり紙をゴミ箱に捨てるようにあっさりと不安を断ち切れるようになったのは、

僕らが負け慣れたからではなく、まぎれもなく彼ら彼女らの存在のおかげ

なのだ。

毎週のように店に足を運び、僕らを風通しがよく陽のあたる場所に立たせ

続けてくれたサポーター、精神的な後ろ盾、数少ない常連さん、その一人が

同じ町内に住むKさんだ。2011年の秋頃にはじまり、ありがたいことにいま

もなお続いているKさんとの交流がもしもどこかの時点で止まっていたら、

僕らがどうなっていたかは想像に難くない。その別れは、清里町における

僕らの居場所を間違いなくより小さなものに変えてしまったはずだ。大げさ

ではなく本当にそう感じている。 

毎週月曜日になるとKさんは、HUTTEと自宅をむすぶ3キロほどの道のり

をしばしば歩いてやってきた。途中には風の抜けがすこぶる悪く、夏場には

天然のサウナと化す坂道もあるのだけれど、それでも簡単に車に甘えたり

せずに、むしろその厄介な行程すら慈しむように歩きとおした。僕らも普段

は自分の足をつかって移動することを好み、極力車に頼らない生活を送って

いるつもりだが、Kさんの健脚ぶりには驚きと憧れを抱かざるを得なかった。

そして「こんにちはー」と言いながら入口を開ける顔に浮かぶ、原野に一輪

明るく咲く花のように、一瞬でこちらの心を柔らかくほぐしてしまう笑み。

そんなだから僕は月曜の午前中には今かいまかとKさんの訪れを待ち

焦がれるようになっていた。

「これ、良かったら使って」と手づくりした雑貨がKさんから妻に差し出される

ことがたびたびあった。どこまでも謙虚なひとだから苦労を窺わせるような

ことはいっさい口にしないのだけど、ウールの毛糸で編まれた帽子にしろ

北欧のテキスタイルを用いた小物入れにしろ、しっかりとした造りと凝った

デザインは製作に割いた時間と注いだ労力をしずかに、しかし確かに

物語っている。タブレットを入れるのにまるであつらえたように丁度よい

サイズで「なんで見せたこともないのにこれ(タブレット)にぴったりなんだ!」

と僕らを驚かせたポーチには、妻が愛して止まない野鳥ノビタキの刺繍が

1羽、こっそり忍び込んでいたりもした。それも、下さる際には「ここにね…」

なんてタネを明かさないのがまたニクイ。

出会った当時から閉店後の今のいまに至るまで、かかりつけの医者のように

精神的な拠り所とさせてもらっているKさんのエピソードはまだまだいろいろ

あるのだが、それらはまた別の章に、たとえば店で開いたいくつかのイベント

を振り返るときにでも綴ることにする。なにしろ慎み深い人だから、いくら

イニシャルとはいえ、これ以上スポットライトを当てると本人からクレームが

届きかねない。

でももうひとつだけ「ああ、やっぱりこの人すごい。」と胸のうちでひれ伏した

一件をもって締めくくりたいと思う。4年ほど前、春まだ浅くたっぷりと雪の

残るウナベツ岳登山をご一緒したとき、その7合目あたりでのこと。日ごろ

からジョギングや山歩きで鍛えているKさんの旦那におおきく遅れをとるのは

まあ想定内。同行した山好きの友人(のちに登場してもらう関根くん)を先の

ほうに見上げるのも、まあそうなるだろうなという感じで納得の僕。 ん? 

と首をかしげたのがKさんのスピードだった。登るまえには「私、足手まとい

になるから…」と小さくなっていたのに、一方でそんなKさんを「大丈夫ですよ」

と大きな顔をして励ました数時間のちにぷるぷる小刻みに痙攣する太股ほか

「いたいいたいいたい、ほんとうにいたい」と泣きついてくる肉体を僕はどうにか

こうにかなだめすかしながら進んでいるというのに、旦那さんから遅れること

なく、それでいて余力たっぷりといった足取りでKさんは登っているのである。

そういえば冬でも2、3㎞は平気で雪道を散歩してるって言ってたっけ…。

Kさんに会うたびいつも感じる、その小柄さに似つかわしくない、なんというか

枝ぶりのよい大木みたいな揺るぎなさ、タフさ、大らかさ。そんなイメージが、

この日、より一層つよく鮮明に認識されたのだった。ちなみに日々の運動量

という意味においては僕と同程度なはずの妻にまで、この日は差をつけられる

有様で、どうやら30年弱のサッカー歴で培った貯金を知らぬ間にすっかり

失ってしまったことを僕は否応なく悟ることになった。ハンドドリップした珈琲を

休憩地点でふるまう機会がなければ(幸運にも腕は正常に動き、そこその味で

提供できた)僕のウナベツ岳登山は「おまえは非力でミネラルの足りない中年

なのだ」という事実をつきつけられて終わりの悲しい一日になるところだった。

危ない危ない。

2020-05-05 6:03 PM|だいじなお知らせComment(4)

monologue #2

2010年8月の立ち上げから3年8カ月にわたって妻と2人で営んだHUTTE。

客席とキッチンをあわせても14坪ほどのささやかなカフェを始めから最後

までいつも温かく見守ってくれ、続けられなくなった日を僕らと一緒になって

悲しんでくれ、さらに閉店から3年が過ぎたいまもなお再開を根気強くまち

つづけてくれているかたがいる。この回想録は、感謝という言葉では到底

おさまりきらない思いをそのかたへ伝えることをひとつの目的として、

閉店後から少しずつ書きすすめているものだ。

 

文章化にあたって店にまつわる記憶をいちから掘り起こしてみると、たいした

資金も技術ももたない丸腰の状態で飲食業界にエントリーするなんて、

当時はずいぶん大胆な決断をしでかしたなあと我がことながら呆れるような、

いや呆れを通りこして拍手を送りたくなるような妙な感慨が湧いてくる。

いくらきっかけが昔からの知人からの誘いで、そして店舗や最低限の設備

はすでに用意されていたからといったって、勤めて5年になる、それもやり甲斐

を感じ前向きに楽しんでもいた編集者の仕事をあっさり蹴ってまで、よく飛び

込んだものだと。

その頃、開業の参考にと手にしたハウツー本や業界専門誌には、どれ一つ

例外なく、独立開業のキーポイントは数百から1000万くらいの開業資金や

業界内におけるたしかな人脈、どこそこの名門なり老舗なりにおける修業で

獲得した経験値である、そんなふうに書かれていた。入念に練られた計画に

のっとって手にいれた、そうした強力な装備こそがあなたのスタートダッシュ

をしっかりと後押してくれる。一方で、僕らの手持ちの資源といえば妻がこつ

こつと蓄え続けた雑誌の切り抜きやショップカードや、僕が5年の編集者仕事

でストックした人気店の記憶。ほとんどそれだけだった。装備もなにもあった

ものじゃない。まるで鍛え抜かれた筋肉を誇る選手たちが居並ぶ100m走の

スタートラインに、一人だけ場違いな白い肌をした文化部員が手首と足首を

ぷらぷらさせながらぼけっと口を開けた顔で混じっている、そんな様子である。

成功するというイメージもだからまったく描けていなかったし、一日の売上が

どうで、それが1カ月後にはこうなって、そうなれば1年でこれだけの貯えが

できていますという数字的な目安さえ決められていない。決めようがないのだ。

もしそのとき「きみ自営業なめてるよね? 」と誰かに問い詰められていたら、

僕は顔を赤くしてひたすらうつむくしかなかったと思う。「いやあ、やって

みないと何とも」とかなんとかごもごも言いながら。

そんなスタートだったにも関わらず、結末までの3年8カ月はとても満ち足りた、

胸をはって成功したと言える時間だった。経営的なことでいえば開業準備に

あてた資金を充分に回収することもできたし、閉店の瞬間までつねに意欲的

に店に立つことができた。もちろん細かい反省を数えだせば両手じゃ足りない

くらい挙げられるし、今でもときどき暗い気持ちにさせる傷だってあるには

あるが、あのとき誘いを断らなくてほんとうに良かった、僕は素直にそう思える

のだ。

場違いの素人ランナーがなぜ途中で立ち止まってしまうことなく、微笑みさえ

浮かべながらゴールラインをまたぐことができたのか。どんな力が僕らを

そんな幸福な結末へと導いたのか。それはひとえに、つねに僕らに伴走し、

励まし続けてくれた人たちのおかげに他ならない。店と客の関係性をこえた

親密さを失うことなく向き合い続けてくれた人たち。彼らの言葉や存在その

ものがHUTTEのまぎれもない原動力だった。

なにしろ開業からしばらくのあいだは安心材料に事欠く毎日だったから、

客の姿がなくしんと静まった店にいるあいだ、あるいは営業日をおえて店から

離れているあいだなんかに(それが家だろうと旅先だろうと)ふと先の見えない

怖さに身体が縮こまることがしばしばあったのだけど、その人たちがHUTTE

を訪れたときにみせた表情や発した言葉、つまり店の何かしらの要素を

楽しんでくれた証を記憶に呼び起こしたり、あるいは、ただその人たちが

現実としてどこかで生きているという事実を胸のうちで確認するだけでも

その暗い影を遠ざけ、気持ちを波のない状態にもどすことができた。

より具体的に言えば日曜の売上がゼロで終わったとしても「明日は月曜で

KさんとUさんが来るに決まってるんだから、今日のことはまあいいか」

と流せるようになった(いやいや、そう簡単に流しちゃいかんだろうと

思わなくもなかったけど)。彼ら彼女らとの関わりがなければ、HUTTEは

もっと早い段階で畳まざるを得なかった。それが僕の得た結論である。

 

それぞれ気にいってくださった焼き菓子や珈琲や、あるいは雑貨など

何かしらの「形」を包んで届けられたらそれが一番なのだけど、いまいる

場所ではさまざまな制約があってそれが難しい。こんな駄文がなんの

足しになるんだ、そう思わなくもないけど、もしかしたら、ほんのちょっとの

時間だけでも温かい気持ちに浸ってもらえるかもしれない、そんな願いを

こめて僕なりにまじめに回想録を書き、届けていこうと思う

 

 

2020-04-26 9:00 PM|だいじなお知らせComment(0)

monologue #1

「あぁ、生きかえった」。

肌にまとわりつくような暑さがようやくやわらいだ8月下旬の、とある夕方。西日を

みつめながらアイス珈琲を飲んでいた男性が軽いためいきとともに放ったひとことに、

僕は耳を疑った。頭のなかでいま起きた出来事を、予期せぬ瞬間をじっくりと点検

する。そちらの男性はいま「生き返った」と仰ったのか? うん、たしかにそう言った。

おもわず身体がこわばる。困ったことになった。なにしろ褒めない両親のもとで

褒められる喜びを知らないまま育ったせいで、他者からの好意的な評価を大人に

なったいまでも僕は素直に受けとることができない。しかもその日は開業からたしか

まだ一週間たらずというタイミングだったから、接客にしろ珈琲をふくめた調理にしろ、

ぎこちなさはだれがみても明らかだったはずで癒しの要素はどこにもなかったはず

なのだ。それなのに「生き返った」。困った。しだいに胸がざわき始める。

そうとう空気が読めない人なのか。

いや、あえてオーバーに表現してみせて、こっちがどう反応するか試してるのかも

しれない。それとも気を効かせた僕の知人の頼みで「癒され」芝居をうったバイトの

可能性もある。つぎつぎ浮かぶ卑屈な想像がますます頭を混乱させる。もう

カウンターのかげに隠れたい。隠れたままでいたい。

ところがどうだろう、この方は会計のさいにも「こういう店をまっていた」とか「また

すぐ来ますから」なんておっしゃる。しかもその表情に演技しているような不自然さ

まったく感じられない。もし嘘を隠していたら、こんなにもまっすぐ視線を投げて

こないはずだ。つまりは、と僕は、彼をドアの向こうに見送った後で考え直した。

きっとほんとうに再生したような気持ちにさせてあげられたんだ、と。さっきまで

見ず知らずだった人の渇いた心が、じぶんたちの手がけたものに触れ、口にする

ことで潤いをとりもどしたという事実。それを理解したとき、心が震えた。狭い思い込み

の檻から抜けた先で視界がおおきくひらけていくような清々しい感覚が湧きあがる。

このままでいいんじゃないか、こんな2人でもでもやっていけるんじゃないかという

安堵があって、あらためて目をむけた店内の西日に照らされるさまが美しくて、

これはなんという1日だろう、この手ごたえの大きさはいったいなんだと、ちょっとの

あいだ声を失ってしまったことを、あれから5年いじょうが経った今も鮮明に

覚えている。

 

 

2020-02-23 1:54 PM|だいじなお知らせComment(0)

あきらめ悪く生きていきます。

こんにちは。

どうにも相性の良くなかった環境にさよならし、4月からまた新天地に

移ることになりました。

浦幌町という小さな町で歴史を紡いできた林業の会社で、森の仕事に

就きます。人生の後半を、自然が健康を保つためのお手伝いをして

過ごしていく。シンプルなライフスタイルを送ることによって、損ない

つつあった僕と妻の健康を取りもどす。そんな動機からの移動です。

 

未だにオホーツクでの再開を根気強く待ち続けて下さっている方が

ほんのわずかいらっしゃって、このたびの決定においては、その期待

を裏切る形となり申し訳なく思います。でも諦めのきわめて悪い僕は、

じつはイメージを放り投げるどころか、補修し、新しく色を塗り直し

たりしながら大切に育てています。こっそりと。

珈琲が飲めて、本があり、誰にも邪魔されることなく自分の思考を

深められる空間。それはこれからの自分にも欠かせないものだから、

みつからなければ創るしかないんです。

さいきん、知り合いのカフェがまた一つ営業を終了することを知り

ました。理由はわかりませんが、資本に頼らずに永く続けることの

難しさは知ってます。

でも、というか、だからこそ創りたい。数十年のあいだ変わることなく、

誰かにとっての、自分にとっての心の拠り所であり続けられる空間を。

焦らずたゆまず往生際悪く、これからも前へ進んでいきます。

 

2018-03-05 3:56 PM|だいじなお知らせComment(2)

大空町で

こんばんは。また訪ねてくださって、ほんとうにありがとうございます。

昨年3月の閉店から1年ちかくにわたって町内に再開場所をさがしていましたがどうにも

見つからず、そんななかでこの春、縁あって大空町に住まいを移しました。

こんなふうな美しい丘陵が連なる、なかなか見所のおおい町です。

そこで何してるかというと、優れた芸術文化の鑑賞機会をひろくまちの人々に提供

する。簡単にいえばそんな仕事を手がける団体の一員に加わえていただき、日々

新鮮なきもちで職務とむきあっています。

「え? じゃあ店の再開はなくなった?」と聞かれると、ひとことでは答えられません。

HUTTEとおなじく斜里岳みあげるロケーションで、という条件がつくなら、イエスと

頷くしかありません。残念ながら。ですが、この町で、前よりもサイズも営業規模も

より縮小したかたちで、という但し書きを加えると一転、可能性は昨年よりむしろ

高まったと捉えることができます。なんだか漠然とした案内で心苦しさもありますが、

いま言えるのはそんな感じ。時間もまだまだかかりますし、場所に心当たりがない状況に

かわりはないけど、少なくとも「これならできそう」とか「それならいけるね」と道筋を

いくつか思い浮かべることができるだけでも、僕らにとっては大きな前進なのです。

おいしいと気に入ってくださったものをまた手渡ししたい。存在がなかったことにされて

いたり、価値が見過ごされているものやことについて、こんな面白いのありますよ?

と提示し、いっしょになって感心したり笑ったりしたい。そんなこころの疼きは店から

離れてしばらくたつ今も依然つよくあって、おかげで僕は落ち着きません(笑)。

そして、そんな僕らの心の声を聞き取ろうとしてくれている方がまだいたなら、この先

も辛抱づよく待っていてくれるなら、それぞれに温めるおもいがだんだんとつみ重なり

ながら像を結んでいって、まるで雪解け後の地面からぽっと芽がでてやがて花が咲く

ように、いつか形として現れるんじゃないか。僕はそう考えています。というか期待して

います。

2年後になるか、3年後になるかもっと先か。それまで皆さんの気持ちを繋ぎとめて

おく材料もない僕らですけど、でもいつの日か。

では、その日まで。

2017-04-30 9:21 PM|だいじなお知らせComment(2)
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